神村学園3年生の福田師王選手は3年連続全国高校サッカー選手権に出場し、その次元の違う強さに注目が集まりましたね。
Jリーグ10チームからのオファーを蹴ってドイツの名門ボルシアMGへの入団を決め、高校サッカー直後の2023年1月15日から契約開始しています。
他とはレベル違いの強さがあり、Jリーグを経験した後ではなく、高校卒業後すぐに海外に行くことを選んだ福田師王選手とはどのような選手なのでしょうか。
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ここでは、福田師王選手がこれまでにどのような道のりを歩んできたのか知るべく、出身地の鹿児島県鹿屋市での小学校時代から神村学園中等部~高等部の今に至るまでの様子や評判、本人のインタビューを交えて振り返ってみたいと思います。
目次
福田師王選手の小学校時代「高山FC」

出展:高山FC Facebookより
鹿児島県鹿屋市出身の福田師王選手は市立大姶良小学校に通い、地元の高山FCに所属してサッカーの練習に励みました。

大姶良小学校の場所
高山FCは2017年度に大隅選手権U-12で優勝するなど実績があるチームです。

【練習場所】鹿嶋市農業研修センターのグラウンド

【練習場所】県民健康プラザのグランド 出展:高山FC Facebook
2017年度は福田師王選手は13歳なので、ぎりぎり所属していない時でしょうか。
しかし福田師王選手は6年生の時にキャプテンを務め、県大会優勝に貢献したそうです。(参照:himawari-nagano.jp)
福田師王選手は小学4年生時に初めて鹿児島県トレセン(*1)入りし、当時は守備だったそうです。
県トレではCB(*2)やSB、チームでもボランチやCBでプレーしていたという。だからこそ、現在FWとして活躍している自分自身に「びっくりしています」。(引用:ゲキサカ)
(*1)「トレセン」とは、主に10歳から16歳のそれぞれの年代の選手を対象に、地区単位、県単位で定期的にトレーニングを実施する活動。まずはチームから選抜され、地区、県、東北へとステップアップしていく制度で、日本代表選手への一つの道のりにもなっている。(参照:一般社団法人宮城県サッカー協会)
(*2)CB(センターバック)、SB(サイドバック)、ボランチ(主に守備)、FW(フォワード:ゴールに最も近い位置)
福田師王選手の中学校時代「神村学園中等部」

なんと素晴らしい環境でしょうか… 出展:神村学園HPより
福田師王選手は中学生になり、スポーツの強豪校として知られる神村学園中等部へ進学します。中学3年時には全国中学校サッカー大会で神村学園は8強でした。

地元の鹿屋市から130km、車で2時間の距離
神村学園には寮がありますので、おそらく親元を離れて寮生活を送りながらサッカーと学業と両立していただろうと思われます。
福田師王選手は、神村学園を選んだ理由についてヤンサカの取材でこのように答えています。
「神村学園中等部に進学をした時は”地元で開催される鹿児島国体で優勝したい”という想いで神村学園を選びました。鹿児島代表として戦い、優勝したいと思ったからです。神村学園高等部への進学はサッカーだけでなく、人間性も高められる高校だと思ったのでそのまま高等部へ進むことを決めました。サッカーだけでなく勉強やテストも頑張れる環境だと思ったからです。メンバーはみんな明るく、技術の質も高いので日々成長することができています」(引用:ヤンサカ)
誰よりもシュート練習を重ねた
神村学園中等部へ進学して1年生の時にFWへ転向した福田師王選手は、高校2年の時にゲキサカの取材で当時についてこのように語っています。
「最初は普通にやって点決めること、チームのみんなが笑っている顔とかが嬉しくて」「(当時、)シュート以外何もなかったので。でも、点決めれば上行けると思った」「(得点感覚は)自分にしかないものじゃないですか。(身についた理由は)シュート練習しているからじゃないですか。チームの誰よりもシュート練習とかしているので」(引用:ゲキサカ)
クロスからのヘッドなどのバリエーションを増やし、ドリブルシュートなどを毎日100本、多い時は倍以上打ち込んできたそうです。
体を強くするために食生活の改善
周囲から「努力家だ」と認められる福田師王選手は、神村学園進学後は苦手なピーマンやトマトも食べるようになり、筋肉によいタンパク質を多くとるようになったそうです。
その結果、体重は高校入学時から3年間で16キロ増加しました。
ドイツ・ボルシアに加入することが決まった福田師王選手は、2022年12月20日に神村学園で開かれたの記者会見で
「体づくりをしっかりとしていきたい。ポーランド代表のロベルト・レバンドフスキやポルトガル代表のクリスチアーノ・ロナウドみたいに、大きくムキムキになりたい」(引用:NHK鹿児島放送局)
と話し会場を笑わせていたそうです。
福田師王選手は「フィジカルでは誰にも負けたくない」とお尻の筋肉を鍛えるトレーニングを毎日継続していたそうです。その日々の練習をよく知るお母さまが語っていました。
福田師王選手の高校時代「神村学園高等部」
ここからは福田師王選手が神村学園高等部へ進学以降、2020年~2023年の3年間の全国高校サッカー選手権にまつわる試合と、評価、福田師王選手の当時のインタビューを交えて振り返ってみたいと思います。
2020年第99回全国高校サッカー選手権
2020年11月、高校選手権鹿児島県予選準々決勝で、緊張により神村学園らしくないミスが続いていましたが、福田師王選手が先制点を取り、悪い流れを断ち切りました。
「自分が何点でも決めてチームを勝たせたいと常に思っています。僕が出ることで、出られない3年生もいるので、責任を持ってプレーしています」「これからはもっと厳しい戦いになるので、もっともっと自分を磨いていかないといけません。それに(大迫)塁にマークが集中するので、僕がより動いてパスコースを作って、タメを作って周りの動きを引き出していきたい。より前線でボールを奪われない選手になっていきたいです」(引用:ゲキサカ)
この試合の後に「福田がいなかったら危なかった」と有村監督は福田師王選手の躍進を絶賛しました。
また福田師王選手は、同級生の大迫について「負けたくないライバルです。塁がいるからこそ、自分が成長できるんです」と話しました。
英国紙で期待の選手60人に選定される

出展:The Guardian
2021年7月、同紙が毎年選定する「ネクストジェネレーション」で、2004年生まれの全世界のサッカー選手の中で、日本人で唯一、福田師王選手が選ばれました。
また福田師王選手は、この年の全国高校総体で得点王に輝きました。
2021年第100回全国高校サッカー選手権
ここまで傍目には順風満帆に見える福田師王選手ですが、2回目の出場をした第100回全国高校サッカー選手権は、一回戦敗退という悔しさが残る結果でした。

試合に負け、項垂れる福田師王選手 出展:ゲキサカ

1人ピッチを彷徨う福田師王選手に歩み寄る抜水昂太キャプテン(3年) 出展:ゲキサカ
福田師王選手の左手首の赤いテーピングには、負傷により試合に出られなかったキャプテン抜水昂太選手の背番号“7”が記されていたそうです。
福田師王選手:「いつでもゴールのことを考えている。1点を決めれば、2点を。2点を決めれば、3点を。それもすべてはチームが勝利するための手段。勝たなければ、どれだけゴールを奪っても何の意味もないことなんて、自分が一番よく分かっている」(引用:ゲキサカ)
神村学園の指揮官は、試合後の取材でこのように語りました。
「もちろん彼の強さだったり、彼のストライカーとしての資質は今日のゲームでも際立っていたと思いますが、もちろんまだ決められる場所がありましたし、そういうところは本人もたぶん悔しがっているんだと思います」
「来年は最終学年の選手として、もちろんいろいろな責任を負いながらやらなくてはいけないというふうに思います。なので、来年の1年間の伸び率が一番高いんじゃないかなと。責任感の中でやるプレーを、どんな選手になっていくかを楽しみにしていていただけたらなと思っています」(引用:ゲキサカ)
2022年第101回全国高校サッカー選手権

準々決勝の試合中
神村学園は準々決勝での戦いの結果は、福田師王選手のゴールで逆転勝利!!!しました。
1ゴール目は西丸道人(にしまる みんと)選手(2年生)によって青森山田と同点へと持ち込み、チーム全体の強さを感じました。

準決勝敗退直後 出典:時事通信社
そして迎えた3日後の準決勝では岡山学芸館と対戦し、後半戦まで3対3の点の取り合いを繰り返し最終的にPK戦で敗れました。

出典:Twitter@hirogoal
福田師王選手はなぜ世界を選んだのか
福田師王選手の高校卒業後の進路は、Jリーグから10チームからオファーがあったそうですが、選んだのはドイツ1部リーグで5回優勝の名門メンヘングラートバッハです。
以前、ドイツでメンヘングラートバッハの練習に参加した際に、メンヘングラートバッハに所属する板倉滉選手、そしてドイツの別のチームに所属する吉田麻也選手の日本を代表する選手たちからかけられた言葉がきっかけだったそうです。
「早い段階で世界を体験できると将来は変わってくる」
「今すぐにでもこい」(引用:NHK鹿児島放送局)
福田師王選手は、その瞬間から覚悟したと話し、
「高校から直接海外に行って成功している選手ってなかなかいないんですけど、自分が成功例をつくっていきたい」
「4年後(ワールドカップ)は自分が出て日本を勝たせるという気持ちなので、ここから先の4年間は大切にしていきたいと思います。もっと頑張ってドイツでも結果を残して、日本を背負えるような選手になりたいです」(引用:NHK鹿児島放送局)
と力強く語りました。
FWのみならずディフェンドも強い福田師王選手、またシュートのバリエーションを増やして体も強くしてきた1年間でした。
試合に出られなかった選手や他校選手からの応援を背負って戦う雄姿から目が離せませんでしたね!
ボルシアMG(ドイツ)へ出発

出典:福田師王選手のinstagramより
福田師王選手が1月25日に日本からドイツへ向けて出発しました。
日本を背負う気概を既に持ち合わせる福田師王選手の今後ますますの活躍に期待したいです!
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