島田珠代(しまだ たまよ)さんと娘さんは、9年のブランクを経て、娘さんが12歳の時に同居を再開しました。
いつも明るく楽しい印象の島田珠代さんの背景には、実は複雑な家庭環境があったなんて想像もしませんでしたね。
本記事では、母子の9年間の別居生活の様子や、視聴者の反応までをまとめました。
それでは一緒に見てみましょう!
目次
島田珠代と娘の同居は12歳から!
島田珠代さんと娘さんの同居が再開したのは今から3年前、娘さんが12歳の時からです。
島田珠代の年齢は53歳

おちゃめな島田珠代 出典:MBS毎日放送
島田珠代さんの年齢は53歳ですので、38歳の時に出産した娘です。
娘が3歳までは、旦那も含めて3人で同居し、島田珠代さんも母親として娘のお世話をしていました。
娘の年齢は15歳
島田珠代さんの娘さんの年齢は15歳です。(2023年時点)
娘は旦那は譲りで高身長!
娘の身長は163cmで、背が高いです!
島田珠代「(前略)もう背も163センチでとうに私のこと超えてるので、電球とか変えてください」(徹子の部屋にて 引用:スポニチ)
ちなみに島田珠代さんは身長151cmなので(参照:Wikipedia)
娘さんは、お父さん譲りで背が高いのでしょう。
まだ15歳なのでまだ背が伸びる可能性もありますね!
娘の話で号泣(徹子の部屋)
「徹子の部屋」で、島田珠代さんは娘の話をする時に大粒の涙を流していました。

出典:X
事情があったとはいえ、当時、離れ離れに暮らすことは辛かったでしょう。
娘からの手紙
徹子の部屋の最後には、娘さんから、母親の島田珠代さんに向けた手紙も読み上げられました。
「この3年間でたくさん笑ってたくさん喧嘩(ケンカ)して新たな一面をたくさん見つけました。私の中で意外な所が2つあります。
スキンシップをたくさん取ってくれる所です。私はもう中学生で扱いが難しくなる時期なのにも関わらず一緒にトランプをしたりたくさんお出かけをしてくれます。
2つ目は私の話をたくさん聞いてくれる所です。普通は仕事帰り、久々の休み、どちらも疲れているはずなのに笑顔で聞いてくれます。そんな人情味ある母が大好きです」
「他にもちゃんと手料理をふるまってくれる所や合間に学校行事を見に来てくれる所や、ドジかと思ったらしっかりしている所も大大大大好きです。ずっと一緒に居てください」と締めくくられていた。(引用:スポニチ)
徹子さんが読み上げた手紙を聞いて、再び涙する島田珠代さん…
島田珠代「ありがとうございます。そんな文章書けるんだ。凄い」(徹子の部屋にて 引用:スポニチ)
と涙をぬぐっていました。
娘さんは、素直な手紙が書ける大人に成長されていました。

出典:X
徹子の部屋の島田珠代さんの回は大変反響がありましたね…!
母からのメッセージ
また番組では、島田珠代さんの母親から言われた言葉も明かされました。
「孫も可愛いけど、娘が一番可愛い。あなたが可愛いから色んなことができるのよ。あなたが一番可愛いのよ」(引用:女性自身)
また胸に来るエピソードですね…!
島田珠代さんへの愛情があるからこそ、さまざまなサポートを買って出てくれていたんですね。
娘の反応:吉本坂46のアイドル島田珠代へ
島田珠代さんは、吉本坂46のアイドルメンバーです。
そんな島田珠代さんに対する娘さんのコメントが秀逸でした。

吉本坂46・島田珠代 出典:吉本坂46公式HP
アイドルに選ばれた母親に対して、当時10歳だった娘さんのコメントはこちらです。

出典:X
「(アイドルになったのが)信じられないけど…別に可愛くないアイドルもいるからいいかな」
なんという言い得て妙でしょう…!
娘が3歳~12歳の9年別居していた
島田珠代さんと娘さんは、娘さんが3歳~12歳の9年間別居していました。
まだ小さくて、かわいい盛りだった頃に一緒に過ごせず、お互い寂しい思いをしただろうと思います。
旦那のワガママで9年間離れ離れ!
島田珠代さんと娘さんが9年間離れ離れだったのは、旦那が娘を引き取ったためです。
娘が生きる糧:旦那が娘を引き取った
島田珠代さんの旦那は直腸がんを患い、余命5年の宣告を受けました。
当初は家族で島田珠代さんの実家に戻り一緒に暮らしていましたが、喧嘩が絶えず、別居することになりました。
その際に、「娘が生きる糧だから」と旦那が3歳の娘を名古屋に連れて行ってしまったのです。
夫は当時3歳の娘を「絶対連れていく」と言い出し、「余命5年で俺の生きる糧はどこにある?娘がいないと無理」と主張。島田は「私だって寂しいよ」と困惑しつつも、夫の希望を受け入れたという。(引用:女性自身)
娘さんは12歳まで父親と暮らしていましたので、旦那さんは余命5年と宣言されてから約11年生きることができたんですね。
娘は別れの駅で大号泣:お母さんがいい
9年離れ離れだった間、島田珠代さんが娘さんに会いに行き、別れの時は毎回「お母さんと一緒がいい」と泣いていました。
「たまに会いに行くと泣きじゃくって、名古屋駅で大勢の人が振り向くくらい泣いて。そのときのことを思い出すと涙が止まらないです。どうしようもない感じで」と顔をぐしゃぐしゃにしながら大号泣していた。(引用:ENCOUNT)
娘はヤングケアラーで家事も行っていた
島田珠代さんと娘さんが9年間離れ離れだった間、娘さんが小学3年生の時に、それまで同居してしていた父親の両親が他界してしまいました。
父親は病気を患っていましたので、娘さんが家事を行うなど半ばヤングケアラーの立場になっていました。
旦那は島田珠代に娘を引き渡さなかった
祖母が亡くなり、家事全般が大変になったはずですが、旦那は常に「大丈夫」と言い、娘さんを引き渡さなかったと言います。
島田珠代さんに言えば大阪に連れて行かれると思ったようです…!
それを見かねた島田珠代さんの母親が、名古屋へ引っ越し、旦那が他界するまでの3年間、3人で同居していました。(参照:放送より)
視聴者の感想
島田珠代さんが語った内容と、放送やニュース記事を見た視聴者の感想をがるちゃんから一部ご紹介します。
自分の療養のために奥さんが働くのは仕方がないことなのに義理のお母さんと衝突とか
病気はつらいけど、旦那さん結構ワガママだなって思った
自分の支えのために幼い子供を連れていくのもどうなの
娘もお母さんも大変だったね
珠代さんの笑顔の裏にはこんな事があったのかと驚いた
お父さんの死や急に思春期に友達と離れて大阪来てお母さんと同居も(娘は)大変だったね。
同居が再開されるまでの9年間、状況は複雑で、島田珠代さんも娘さんも寂しい思いをしてきたこと確かでしょう。