WBC侍ジャパンが村上宗隆選手によるサヨナラ打で3大会ぶりに決勝に進出決定!「村上打てない」「村上と心中」など散々な言われようをされていましたが、見事に払拭してくれました。
村上宗隆選手がサヨナラ打を放った瞬間、現地リポーターで侍ジャパン公認サポートキャプテンの中居正広さんは「やっと起きてくれました!おはようございます!」と興奮した様子で村上宗隆選手のお目覚めを喜んでいました。

お目覚めネタはここからきたのだと思われます。 出展:村上宗隆選手のTwitter
ネット上では「これまで村上を叩いていた人たちの手のひら返しがすごい」と一気に村上宗隆選手を称える空気に一変しました。
村上宗隆選手は不調と言われていたようですが、不調の原因は何だったのか、実際に近くで見ている栗山監督やプロ野球選手は村上宗隆選手をどう見ていたのかについて調査しました。
その結果、練習には人一倍励んでいたが実践の場が不足していたということが考えれることが分かりました。
加えて、それでも栗山監督は村上宗隆選手を信じて任せていたこと、村上宗隆選手は昔から挫折から這い上がってきた選手だということが分かりました。
一つずつご紹介します!
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目次
村上宗隆が不調、打てないと言われていた
村上宗隆選手は「打てない」「村上と心中」などとネット上では散々な言われようとされていました。
村上宗隆はいつから不調?
村上宗隆選手は、2022年にセ・リーグで3冠王を獲得し、その神がかった打撃成績から「村神様」というキャッチフレーズが流行り、流行語大賞で年間大賞に選ばれています。

出典:中日スポーツ
しかし、WBCでは1次リーグから不振から続いていたのです。
村神様から村人様へ
ネット上では、村上宗隆選手の不振の揚げ足を取り「村上様から村人になった」と言われることもありました。
勝利をもたらした最後のサヨナラ打を放ってからは、打って変わって村上宗隆選手を称えるコメントへ変化しました。
この手のひら返しに嫌悪感を抱いた人は少なくないようです。
「我が家では村人様と呼んでいました。本当ごめんなさい」という声や「村神→村上→村中→村下→村人→村神」と村神様の復活を表現する人もいます。
村上宗隆はいつも挫折から這い上がってきた

素振りを続ける村上宗隆選手 出典:産経新聞
村上宗隆選手が昔から順風満帆だったのか、不調の時期が過去にもあったのか調査したところ、過去に何度も挫折を味わってきた選手であることが分かりました。
U-15日本代表に落選
中学2年の秋、村上宗隆選手はリトルシニアの大会で対戦相手に大敗してしまいます。
しかしリトルシニア九州選抜チームの大津修朗監督は、この子たち(*)は絶対プロになると思っていたそうです。
(*)村上宗隆選手、増田珠選手、西浦颯大選手
「俺が選ぶ」と村上選手に声をかけたところ、村上宗隆選手は涙を拭って「よろしくお願いします!」とぴんと背筋を伸ばして答えたそうです。
しかし結果的に3人中一人だけ選ばれず「なんで僕だけが選ばれなかったんでしょうか」と泣きながら大津修朗監督に電話をかけてきたそうです。
仲の良かった3人の中で自分だけ落ちたのがやはり悔しかったのでしょうと大津修朗監督は当時を振り返っていました。(参照:文春オンライン)
三冠王の達成前も一時、不調だった
一時は打率の調子が良く、三冠王も確実と思われていた村上宗隆選手でしたが、達成を目前(2022年9月頃)にして調子が落ちた時もあったようです。
しかし調本の調子を取り戻して、2022年10月に史上最年少で村上宗隆選手は三冠王を達成しました。
強化練習では実践が不足していた
スポーツライターの氏原英明氏は、村上宗隆選手について
「(2月に行われた)宮崎での強化合宿じゃ練習が中心で、実践不足が(打撃成績に)影響しているのかもしれない」(参照:産経新聞)
とコメントしていました。
栗山監督を含む、プロ野球選手は村上宗隆選手を信じていた
「不調のまま4番に置いて大丈夫なのか」と村上宗隆選手の不調に対する批判の声に、プロ野球内野手の川崎宗則氏は以前、「このまま村上さんは(4番で)使うと思います」と断言していたようです。
川崎宗則氏:

出典:デイリースポーツ
「数字だけ見たら打ってないかもしれないですけど、フォアボール選んだり、チームプレイで頑張ったりしてるんですね。」
「守備でもサードという大事なポジションを守ってますし、機能してないっていうことはないです。」(引用:スポニチ)
そして村上宗隆選手の最後のサヨナラ打を見て、川崎宗則氏は大号泣してしまったそうです。
栗山監督:

出典:スポニチ
「最後、お前で勝つんだとずっと言ってきた。僕は信じています。」(引用:中日スポーツ)
栗山監督は、試合終了後の会見で、このように話していました。
「多分、本人の中ではまだチームに迷惑を掛けているという感じしかないんじゃないかなと思うんですけど、あんなバッターではないので。」
「本当に世界がびっくりするようなバッターであることを僕はこのWBCで証明したいと思ってやってきた。」
「彼を信じる気持ちはゆるぎないものがある。」
「打つきっかけを作るには色んなことをしなければならない。なんとか彼の能力を引き出す手伝いをできれば。」
村神様が復活しサヨナラ打を放つ

出典:侍ジャパン公式Twitter
村上宗隆選手は、WBC準々決勝試合後の会見でこのように話していました。
「バントも頭をよぎったんですけど、監督が『ムネにまかせた。思い切って行って来い』と言ってくれて、腹をくくっていきました」
また試合直後のインタビューでは、
「もう何度も三振して、何度も悔しい思いをして、その中でチームメイトがすごい点を取ってくれて、最後に打席が回ってきたので」「期待に応えられてよかった。」(引用:スポニチ)
と話していました。
村上宗隆はWBC2009の影響を受けていた
WBC2009年の時、村上宗隆選手は小学3年生でした。
イチロー選手のWBCで劇的なタイムリーを打って活躍する様子を見て、村上宗隆選手は野球に対する想いを強くしたそうです。
WBC2023準々決勝の後半、大谷翔平選手がツーベースヒットを出して一気に上昇気流を作り、その後の吉田正尚選手のフォアボールで繋いでくれました。
「本当にチーム一丸となった勝ち」だったと村上宗隆選手は振り返っていました。
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