三笘薫と田中碧は小学校から仲良し!鷺沼SC出身でチームも高校まで一緒

三笘薫と田中碧は小学校から仲良し。鷺沼SC出身でチームも高校まで一緒




三笘薫選手と田中碧選手の信頼あっての連携プレーで逆転ゴールを決め、喜びを爆発させて抱き合う二人に日本中が胸を打たれました。

三苫選手と田中選手の仲の良さと信頼の厚さは、同じ鷺沼小学校で、同じさぎぬまサッカークラブに所属し、一緒にサッカーをしていた頃からにさかのぼります。

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ここでは、三苫選手と田中選手のサッカー少年時代の様子と、現在に至るまでの信頼関係についてまとめてみたいと思います。(2023年11月6日現在)




三笘薫と田中碧は鷺沼SC出身で誰よりも向上心が高かった

田中碧選手 三苫薫選手 小学校サッカー時代

左が三苫選手、右が田中選手

三苫選手と田中選手が小学生の頃に所属していた地元のさぎぬまサッカークラブは実力テストなどはなく誰でも入れます

サッカーは楽しいスポーツなんだということが伝わることが基本方針で、保護者も一緒に練習したり、手伝ったりする環境だったそうです。

当時まだ幼稚園児だった田中選手がさぎぬまサッカークラブの体験会で泣いていたという逸話があります。

泣いていた理由は、

『こんな練習、つまらない』と言うんです。衝撃的でした。後にも先にも、そんなことを言われたことはありません。体験会は初心者にも合わせてやるので、当時の彼にとってはつまらない練習だったのかもしれない。(クラブ代表 沢田秀治さん談 引用:中日スポーツから)
それくらい田中選手は幼少期から向上心が高かったということが伺えます。



さぎぬまSCには日本代表の権田修一と板倉滉選手も所属していた

さぎぬまサッカークラブには、日本代表でゴールキーパーの権田修一選手と、同じく日本代表でディフェンダーの板倉滉選手も所属していたという共通のルーツがあります。

クラブ代表の沢田秀治さんは、

4人に共通していたのは、「誰よりもうまくなりたい」という向上心だった。権田はシュートを決められれば練習でも本気で悔しがり、小学2年だった板倉は上の学年主体のチームで活躍しても「もっと練習して、もっと点の取れる選手になりたい」と文集に記していたという。(引用:中日スポーツより)

と権田選手と板倉選手の思い出を語っています。

もっと上手くなりたい、できないことができるようになりたい、その向上心が飛躍的に成長する選手となる共通点の一つなのだと思いました。




田中碧は練習の虫だった

さぎぬまサッカークラブの高木元也元監督は、スペイン戦後のインタビューで、抱き合う二人を見て「当時小1だった碧(田中)と小2の薫(三笘)の姿が浮かんで、合宿でゴロゴロやっていたのが目に浮かんだ」と話しています。

同氏いわく田中選手は、

昔から練習の虫みたいだった。緊張することなく一気にパワーを全開できるすごい子だなと思った」(引用:テレ朝ニュース)

という印象があったそうです。

そして田中選手は小学校3年生に上がる頃に、川崎フロンターレのユースに合格し、さぎぬまサッカークラブを卒業しました。




三笘薫は超うまいと地元で有名だった

三苫選手は当時から地元では有名なサッカー少年だったそうです。

田中選手の小中学校の同級生は、

(三苫選手は)超うまい一個上の先輩という感じ。(中略)家が近くて、碧と一緒に帰って、碧とサッカーの話だったり、たわいもない話はしていた印象」(引用:テレ朝ニュース)

とインタビューで話しました。

三苫選手も田中選手と同様に、小学校3年生から川崎フロンターレのユースに所属を移しています。

1学年上の三苫選手の背中を田中選手は追っていたのだろうと思います。

田中選手は三苫選手について、

彼が常に僕の前を走っている。それに追いつこうと僕はしているだけ。そこに追いつけられれば、ずっと一緒にプレーできる感覚。常に上を目指すきっかけをもらっている。だから変に満足することなく常に前走っている。そういう意味ではありがたい存在」(引用:ABEMA)

と話し、三苫選手と田中選手は幼い頃から一緒にサッカーをして切磋琢磨する関係だったことが伺えます。




三笘薫と田中碧は互いに高め合っていた

三笘選手も同様に、田中選手との関係をこのように話していました。

「顔も似ているって言われるし。家も近いし縁なんですかね。碧が活躍しているからこそ、負けたくない気持ちも大学時代思っていたし、近い存在が上に登っていくのが刺激になって、後押ししてくれたと思っている」 (引用:テレ朝ニュース)

お互いに信頼し合える絆と、互いを高め合う関係性は、少年時代から今に至るまでに築かれていたのでしょう。

ネット上では田中選手と三苫選手の少年時代からの関係性を「マンガみたいな展開にびっくり!」と言う人もいます。

田中碧が語る三苫薫と一緒にプレーすることへの強い想い

このように田中選手と三苫選手はかつては一緒にサッカーをしていましたが、現在はヨーロッパの別々のチームに活躍の場を移し、同チームの仲間としてプレーすることはできなくなっていました。

田中選手「これから一緒にプレーするチャンスっていうのは日本代表が唯一のピッチなので、だからこそ代表のピッチで一緒にプレーしたい」(引用:ABEMA)

田中選手 サッカー 三苫選手 想い

常に上を目指すきっかけをもらうありがたい存在」と話す田中選手に、そのことは三苫選手も知っているのかと問われ、「自分の片思いみたいで恥ずかしい」と照れながらも「彼もそう思ってると思う」とここでも信頼関係を伺わせていました。

日本代表として一緒にプレーできるとは当初は考えてもいなかったそうで、とても嬉しく、感慨深かったそうです。

ここまで三苫選手と田中選手の少年時代からの関係性と、現在に至る信頼関係について振り返ってみました。

互いを強く信頼し合う関係性があるからこそ、あの一瞬の連携プレーからの逆転ゴールを決めれたのだと分かり、ますます胸が熱くなりました。

これからも三苫選手と田中選手が同じピッチに立つ試合をもっと見たいですね!

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