長野県中野市の元市議会議長青木正道氏(事件後に議員辞職)の長男・青木政憲さんが立てこもり事件を起こしました。
被害者が出る最悪の事態となりましたが、容疑者である青木政憲さんはどのような方だったのでしょうか。
ここでは、青木政憲さんのこれまでの経歴について調査しました。
その結果、大学中退後に市内で13代続く果樹園を引き継ぎ「マサノリ園」の園主となり、そこで採れた果物を使ったジェラート店の経営にも携わっていたこと、実は自衛隊に入隊していた時期があり、射撃に興味を持ったということが分かりました。
それでは一つずつ見ていきましょう。
目次
青木政憲の経歴まとめ
残忍な事件を起こした青木政憲さんとは一体どのような方だったのでしょうか。
年齢が現在31歳という情報をもとに、調査した経歴を時系列で表にまとめました。
時期 | 経歴 |
2005年4月~2011年3月 | 地元の中学・高校を卒業 |
2011年4月~2012年?月 | 東京の大学に進学するも精神的な不調を訴え中退 |
2012年?月~2-3か月間 | 自衛隊に入隊 |
2012年?~ | 13代続く実家の果樹園を引き継ぐ |
2019年~ | 栽培した果物を使用したジェラート店が大繁盛 |
これらの経歴を以下で一つずつ紹介します。
青木政憲は東京の大学に進学後、精神的不調のため中退していた
青木政憲さんは中学・高校まで地元の学校に通い、高校は、地元でも知られた県立の進学校に通ったそうです。(参照:NEWSポストセブン)

出典:集英社オンライン
大学は東京の大学に進学したそうですが、人付き合いがうまくいかなかったために、卒業間近に中退して実家へ戻ったと青木家をよく知る知人の方が明かしていました。(参照:集英社オンライン)
青木政憲は自衛隊に2-3か月入隊経験がある
大学中退後、人付き合いがうまくない長男・青木政憲さんを見かねた父・青木正道氏が、青木政憲さんを自衛隊に入隊させたことがあったそうです。
しかしそれは長くは続かず、2-3か月で除隊したと言われています。
青木政憲さんは事件に散弾銃を使用していますが、地元の中野市にはクレー射撃場がかつてあり、閉鎖される4年ほど前まで、青木政憲さんは頻繁に通っていたそうです。

中野総合射撃場 出典:Facebook
射撃は、自衛隊に入隊していた時に興味を持ったのではないかと言われています。
ちなみに青木正道氏の次男であり、青木政憲さんの弟は、現在自衛隊員として北海道の駐屯地に駐在しているそうです。(参照:集英社オンライン)
青木政憲は家業の農園「マサノリ園」の園主に
今から約10年ほど前に、青木政憲さんは地元で代々続く果樹園の園主を引き継ぎました。主にシャインマスカットや桃などを栽培しているようです。(参照:時事通信)
青木政憲さんは自身の名前から取った「マサノリ園」の園主として農業に従事していました。
大人気ジェラート店の経営も
父の青木正道氏が社長を務めるアグリサポート株式会社は、農薬販売などを手掛けていますが、4年ほど前からジェラート事業を始めました。

出典:web komachi

出展:Google map
店舗名は「ジェラテリアフルッティ」といい、北佐久郡軽井沢町に出店した直営店は行列ができる大人気店で、コロナ渦にも関わらず毎年売り上げを2-3割伸ばす大盛況だったそうです。(参照:信濃毎日新聞)

出典:web komachi
2022年8月には、信州中野インターから車で1分という好立地な場所に2店舗目をオープンさせていました。
数年で2店舗目とは、本当にお店は大盛況だったことが伺えますね。

出典:web komachi
青木政憲さんがお店に出ることはありませんでしたが、両親が経営するジェラート店にマサノリ園で栽培した果物を使用するなど、経営を手伝っていたそうです。
まとめ
立てこもり事件を起こして被害者を出した青木政憲容疑者のこれまでの経歴について調査しました。
その結果、大学中退後に市内で13代続く果樹園を引き継ぎ「マサノリ園」の園主となり、そこで採れた果物を使ったジェラート店の経営にも携わっていたこと、実は自衛隊に入隊していた時期があり、射撃に興味を持ったということが分かりました。
一方的な逆恨みなのか、その動機については依然として明らかにされていませんが、近所の住民や地元の警察官を襲撃した罪は決して許されるものではありません。
岸田文雄首相も襲撃されていましたし、最近本当に物騒な世の中ですね…。
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